サンクトペテルブルク
サンクトペテルブルグの都市の名は“聖ペテロ”の街を意味する。これは、建都を命じたピュートル大帝が自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたもの。
ピュートル大帝によって1703年に築かれた人工都市であり、モスクワとサンクトペテルブルクは母性と父性として対比されることもある。その背景としては、モスクワが“大地信仰”を根底とするロシア(「母なる大地、母なるロシア」という表現が用いられる)を象徴する土着の都であったのに対し、ペテルブルクは西欧に倣って“人工的”に建設された西欧的・キリスト教的な父性支配を象徴する都と考えられる。
お勧め観光スポット
エルミタージュ美術館(冬の宮殿)
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エルミタージュとは隠れ家という意味。エルミタージュは5つの建物が一体となって構成されており、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場と冬宮であり現在本館となっている冬宮はロマノフ王時代の王宮である。 |
ロシア美術館
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ロシアの美術館中、最大のコレクションを誇る。また、ロシア美術館本館に使用されているミハイロフスキー宮殿は、19世紀初頭におけるロシア新古典主義建築の傑作である ロシア美術館はロシア最初の国立美術館として開館した。ロシア美術館の最初のコレクションは、エルミタージュ美術館、アレクサンドロフスキー宮殿、ロシア帝国美術アカデミーの収蔵品から移動させられた。1917年ロシア革命後、多くの個人蔵のコレクションが国有財産となり、ロシア美術館の収蔵品となった。この中にはカジミール・マレーヴィチの“黒の正方形”(1915年)なども含まれる。 |
カザン聖堂
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カザン聖堂は、サンクトペテルブルグにあるロシア正教の大聖堂で複数の同名の聖堂が存在する。これらの聖堂は、ロシア正教会においてもっとも重要視されるイコンのひとつ、“カザンの生き女神”に由来する。 |
聖イサァク大聖堂
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聖イサァク大聖堂は中心にあるロシア正教の大聖堂。ドームは全高101.5メートルの偉容を誇る。聖イサァク大聖堂の名称は、ピョートル大帝の守護聖人、ダルマチアの聖イサァクに由来する。 |
血の上の救世主教会
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血の上の救世主教会は、サンクトペテルブルグにあるロシア正教の聖堂である。公式名は、ハリストス復活大聖堂。このほか、血の上の教会(Church on Spilt Blood)の名称でも知られる。この名称は、1881年3月13日のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地である。 |
エカテリーナ宮殿
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エカテリーナ宮殿は、サンクトペテルブルグ中心部から南東25kmの郊外の避暑地ツァールスコエ・セローに存在するロシア帝国時代のロココ建築の宮殿。
建設は1752年5月から4年の歳月をついやし、1756年7月30日に全長325メートルの現行規模の宮殿が完成した。 とりわけ“琥珀の間”が有名である。琥珀は、第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ軍に持ち去られたが、1979年から始まった復元作業により、2003年に完全に復元された。 1791年に日本人の漂流民大黒屋光太夫が帰国を願うため、エカテリーナ2世(在位:1762年 – 1796年)に謁見した場所としても知られる。 |
ピュートル大帝、夏の宮殿
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サンクトペテルブルグから高速艇で約30分。船から降りるとすぐに入園料を払い、入ると公園の中心に多くの噴水が見える。 階段を登って上から見る公園は一見の価値あり。 庭園のあちこちに噴水があり見事ですが、大滝が一番です。
宮殿の内装はとても豪華で秘宝館も見応えがある。 宮殿から大滝やフィンランド湾まで眺める事が出来て、爽快な気分になる。 |
モスクワ
モスクワは、ロシア連邦の首都。連邦市として市単独でロシア連邦を構成する83の主体のひとつとなっている。人口は約1150万人、ヨーロッパで最も人口の多い世界有数の世界都市である。
ロマノフ朝時代は国土の拡張にともないモスクワも成長を続けたがピュートル1世が1712年にロシア北西端のネヴァ川河口にサンクトペテルブルグを建設したことで首都の座を譲った。しかしそれ以後も副首都の座を保ち続け、歴代のロシア皇帝はモスクワにて戴冠式を行うことを常とした。古い貴族階級は遷都以後もモスクワに居住するものが多く、西欧の思想を取り入れる窓口となったサンクトペテルブルクに対し、モスクワは古いスラブ主義の思想の中心地となっていった。
モスクワは、中央にあるクレムリンから同心円状に広がっている町であり、クレムリンからはすべての方角に放射状に幹線道路が延びている。その幹線道路をつないでプリヴァール環状道路、サドヴォエ環状道路、モスクワ環状道路の3つの環状道路がある。モスクワの地下鉄環状線とほぼ同じ場所を走るサドヴォエ環状道路は、1590年代のモスクワ市の土塁の跡に作られている。
クレムリンは1156年にユーリー・ドルゴルーキーがとりでを築いて以来一貫してモスクワの中心であり、モスクワ大公国時代からロシア帝国初期を通じて王宮がおかれていた。ソヴィエト連邦成立後はここに政府が置かれ、現在もロシア連邦の大統領府があるロシア政治の中枢である。クレムリンの正面には赤の広場が広がり、周辺には百貨店や聖ワシリー大聖堂、レーニン廟がある。広場の北東はキタイ・ゴロドと呼ばれ、モスクワ大公国時代からの商工業地域だったところで、現在では都心の一部となっている。その北にはかってKGB本部の置かれていたルビャンカやボリショイ劇場などがある。
お勧め観光スポット
クレムリン
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クレムリンとは、ロシア連邦の首都、モスクワ市の中心を流れるモスクワ沿いにある旧ロシア帝国の宮殿。現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれている。正面には赤の広場がある。ロシア語でクレムリとは“城塞”の意。中世ロシアにおいて、多くの都市は中心部にクレムリンを備えていた。モスクワの他、ノヴゴロド、ニジニ・ノヴゴロド、カザン、アストラハンにあるものが有名である。しかしながら、日本において単にクレムリンと言った場合、モスクワにある宮殿を指すことが多い。モスクワのクレムリンはそれらのなかでも最も有名かつ壮大なものである。城壁の総延長2.25km。20の城門を備え、内部には様々な時代の様式による宮殿や大聖堂が林立している。 |
赤の広場
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赤の広場は、首都モスクワの都心部にある広場で、元々ロシア語で“「美しい”」という意味もあり、広場の名前は本来「美しい広場」というものであった。広場は北西から南東に長く、南西側にはガガーリンやスターリンが眠る城壁とその中の大統領官邸、城壁に接しているレーニンの遺体が保存展示されている。北東側にはグム百化貨店、北西端には国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門、南東端には葱坊主の屋根の聖ワシリィー大聖堂と処刑場・布告台だったロブノエ・メストがある。 |
聖ワシリイ大聖堂
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聖ワシリイ大聖堂は赤の広場に立つロシア正教の大聖堂。1551年から1560年にかけて、イヴァン4世が、カザン・ハーンを捕虜とし勝利したことを記念して建立した。ロシアの聖堂でもっとも美しい建物のひとつと言われている。1990年にユネスコの世界遺産に登録された。 |
ノヴォデヴィチ女子修道院
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ノヴォデヴィチ女子修道院は正教会の修道院の中でも、有名な女子修道院の1つである。2004年にユネスコの世界遺産に登録された。この修道院の最も重要な建造物は、1524年から1525年にかけて建設されたスモレンスキクの生神女大聖堂である。6本の柱と5つのドーム屋根によって構成されている。ロシア建築に特有の中央の切妻屋根は、イヴァン4世の時代に建設された。 |
プーシキン美術館
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ヨーロッパ最大の美術館であり、収蔵品の数は約10万点でエルミタージュ美術館に次ぐ世界第2位。 |
コローメンスコエ昇天教会
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コローメンスコエの名称は、モスクワ南東部コロムナ街道の起点であったことに由来する。1925年にコローメンスコエには野外文化財博物館が設置され、歴史的建築物が保護された。1994年コローメンスコエの主の昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)は、ユネスコの世界遺産に登録された。 |